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き、両側の柱につっかいぼうをするような姿勢をとり、体を宙に浮かせ腕力を誇示する。そして、イエの主人をよびカネを出させる。さらに、唐氏仙娘に出会い、仲よくなる。その際、例の道化者和尚が現れ、唐氏仙娘にいい寄るが、このむすめは結局、将軍とともに桃園洞にでかけてゆく。前引の度修明氏によると、桃園洞の鍵を管理するのはこのむすめで、彼女だけが「二十四の劇(即ち二十四の仮面)を運びだすことができる」といわれている。そして、ここの扉を開けると、やがて、うつけの若旦那甘生としたたかな下僕役の秦童が登場し、逆境にある秦童が勝利することで居並ぶ村人の喝采を浴びる。
この一連の流れのなかで、仮面戯の文脈をたどるとき、次のことがいえるだろう。まず、共同体のたちゆかなくなった状況を救う儀礼の場に一連のモノたちがくる。かれらを先導するモノは腕力、霊力に満ちたモノであるが、人間に限りなく近く、もてなしを要求する。そして、相応のふるまいにあずかると、つづいて一段の霊たちがやってきて、イエを祝福する。秦童は甘生に雇われて都にいくが、科挙に受かり、一方、甘生は落第したばかりではなく豚殺しの仕事につくが、なれないことなので、これもうまくできない。こうした地位の逆転劇は痛快である°とはいえ、秦童はかならずいつもこのような役割を演ずるわけではない。かれは、ところによっては、夫婦別れを深くしない愚図の下働きとしても現れる。また、徳江では秦童と類似の身分で優柔不断の軟派(軟童)、その反対の硬童などと

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(26)晋州五広大の五方神将。崔常壽『野遊・五広大仮面劇の研究』より

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(27)長野県新野のさいほう。こののちに馬や牛、翁、神婆などが登場する

 

いうモノも現れる。要するにムラのどこにでもいるモノたちが来てあそんでいくのだ。
こうしたひとまとまりの仮面戯は実は韓国や日本の仮面戯などでも見られた。いま、その対照すべき点をあげると次のようになる。
一、仮面戯の冒頭に先導役のモノが現れること。韓国では慶尚南道駕山五広大の冒頭に五方神将舞がある(写(26))。日本の神楽では長野県新野の雪祭の「さいほう」とその「もどき」の二人の登場人物はよく知られている
(写写(27))。さいほうは労相氏にさかのぼるという説がある(武井正弘)。尖角将車を含めて大いに考えられるところである。
二、劇的な展開はおそらくのちに付加されたもので、初めは単にカミが現れては無言で跳舞して退くというかたちだったのであろう。それゆえ、儺堂戯でも漢族の演目がかなり目に付き、かえって少数民族のものとしての仮面戯の価値が疑われる始末なのだが、こうした後世の脚色は日本の神楽においても見られる。すなわち近世の後半期に日本神話に基づいて作られた岩戸開きやスサノオのおろち退治の劇などは、むしろ地方の神楽の独自性を薄める結果をもたらしている。韓国でも、朝鮮朝の両班諷刺などにはそうした類型性が多少感じられる。もちろん、こうした劇的な展開のなかから、民俗世界のことばの力がみがかれていったのであり、そのことはまた別の意義を持つ。三、初めの仮面戯は「訪れるモノ」のかたちに注目しないと解けないということ。それは巫覡の唱えごとと、それに基づく舞のなかですでに準備されていたが、いったい、どれだけのカミが訪れようとしているのか、その段階ではまだ目に見えない。これを見えるかたちに置き換えるのが「将軍」や「神将」の

 

 

 

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